春浅き玉川温泉湯治キャラバン

 さて、困った…。本来ならこの湯治旅行は、連れ合いの湯治療養、という大義名分のもと行くのでキャラバン報告にはならないのかもしれないが、いろいろな楽しい出来事もあったし、出会いもあったので、療養日記を持たないTakeのSiteではここに書くのが妥当と思い載せることに致しました。
 世間ではGW突入も、我が社は30日に仕事もあり、またGWあと10日まで休暇を貰った手前、心の中ではそわそわしながらも、無事定時まで仕事をし、社長・会長らに見送られながら(テレテレ)自宅へと向かいます。自宅には、今回同行するFさんが娘さんと既に来られています。荷物を積み込むと既に時間は19時を廻っています。仕事のため休みが取れないF娘さんと食事をし、バイバイ(^o^)丿とお別れしたのは21時を遥かに廻ってからのことでした。
 様々な仕事もあり、昨晩はほとんど寝ていませんでしたが、長距離ですので行ける所までは行こうと、小田原厚木道路、東名、首都高速と走ります。混雑の中、優越感に浸りながらETCゲートで追い抜き、そして車速で劣りまた追い抜かれます。都内までは順調で、100Km/h弱のスピードで走ります。環状線では、千葉ナンバーのクレソンとわずかな間ですがランデブー。池袋から外環へ抜け、そして東北自動車道へ。
 混雑する蓮田は見送り、佐野SA(23:55)、黒磯SA(25:00)で休憩をして、鏡石SAにてダウン。今晩は、ここでお世話になります。
 翌朝、朝食を食べていると、KINGが入ってきます。アレレ・・・誰だろう!お初にお目にかかれるオーナーさん。お声をかけるとAK-MLのメンバーのたたらさん。ご実家にお戻りになる途中とのこと・・・。挨拶を交わす程度でしたが、嬉しいものです。
 さて、僕らも先を急ぎましょう。P泊をさせてもらった鏡石SAを出発。東北の地をひたすら北上しますが、『すいている東北道』のイメージと違い、どこまで行っても混雑の様相。テールを追いかけながら、渋滞の情報を聞きながら仙台へ。遥かな地に来たな!と思うものの、まだまだ秋田は遠い地です。
仙台名物『牛タン串』一本600円と
チクッと高いが、お味は満足!
 国見を目前にして渋滞ぎみ。本日も走行を始めて2時間、低速の単調な運転、こういうときが一番危ないと自重し、菅生SA(10:30)で休憩。SA前ではネパールの物産店があり、(同行者)2人は早くもそのお店のとりこに…。僕がトイレに行っている間に、バッグとシャツをGetし、意気揚揚!着る気より食い気の僕は仙台名物牛タン串で満足。
 さぁ!名物牛タンも食べたし、もう一頑張り!アップダウンの激しくなった道路を追い抜かれながらも必死に走ります。が、またも渋滞。なんと、原因は、トレーラー車が相次いでパンク。大型だけにそう簡単には修理ができないようです。一関を過ぎるとさすがに若干は渋滞は緩和され、高速の降り口松尾八幡平ICに14時に到着。そう、ここからアスピーテラインを通って秋田側に行こうと言う目論見。
 大雪のため(?)開通が数日遅れ4月29日にオープンしたこの山岳道。個人的にはその途中にある松尾硫黄鉱山跡にも興味がありまして、楽しみな道路です。
 1950年代頃、高度経済成長時代、雲の上の楽園とまでもてはやされた松尾鉱山。東北の標高1000mのこの地にコンクリートで作られた大アパート郡があったそうです。セントラルヒーティング完備、スーパーや学校、病院などこの中ですべてをまかなえた松尾鉱山。1万人を超える人口を誇り、東京からも芸能人が挙り、演芸が行われていたとか…。しかし、足尾と同じ公害の表面化、硫黄の価格の低落などによりいつのまにか廃墟となっていったようです。しかし、昭和の良き時代の一面を思い起こしました。豆腐屋のラッパの音と大きな夕日を合図に蜘蛛の子を散らすように、自分の家に戻っていった、そんな風景が目に浮かびます。電波状況は当時のことを考えるといい訳は決してなく、娯楽はテレビに頼らなかった時代。食後の一家団欒は楽しかったでしょうね。どの部屋からも笑い声が聞こえていたと思います。ここで育った子どもたちは、団塊の世代と呼ばれている人たちでしょうけれど、それぞれどこで何をしている人なんでしょうか?生まれ育ったアパートがこのような廃墟となりながら、それでも残っていることをどう思っているのでしょうか?幼少の時代を思い出すことはあるのでしょうか?・・・そんなことを思いながら、車を進めます。
 アスピーテラインは、17時以降はこの時期でも凍結の恐れがあるので通行が禁止されているます。雪の壁を見ながら進むことを考えるとのんびりはできません。
山頂の有料駐車場に車を停め、外に出ると、さ、寒い(あたりまえ)。そういえばお昼を食べていないことに気付き、早速駐車場に隣接している地下2階の古びれたレストランに飛び込みます。15時という時間帯のため、既に希望の稲庭うどんは完売。十割そばもなく、カレーとおでんというメニュー。それでもストーブのそばで食する暖かい食事に各自満足。
 雪壁を前に記念撮影をして、人懐っこかった駐車場のオジサンに見送られて山頂を後に秋田側を下っていきます。
 岩手側よりは緩やかな道を約40分降りると、御所掛け温泉。そして、その先を右折し東登呂湖温泉を抜けたところに、今回長期のベースキャンプとなる八幡平オートキャンプパーク・アスピアがあります。5月3日〜5日にかけて、第4回東北オートキャンプ大会が開催されるため、ゲートには歓迎の大きなアーチが飾られている中チェックインを済ませ、カード式ゲートのパスポートとなるカードを預かり自分のSiteに向かいます。
 東北で唯一の5つ星キャンプ場、を誇る日本でも最大級の規模のこのキャンプ場はサイトだけでも130を越えます。しかし、キャンピングカー用のサイト(電源、上下水付き)はたった5つでした。まだまだ、フックアップに対する認識はされていないのでしょうか?また、サイト自身は、大型キャンピングカーやトレーラーが安易に入庫しやすいように、もったいないほど広いスペースを取っています。通常のサイトと同じ、駐車スペースと隣接の芝生部分ですが、この芝生部分がキャンピングカーサイト全体面積が広い分若干狭く感じました。常識的には、長辺側にセンターのポールを立てるのですが、寒さよけのためにとコールマンのヘキサタープのMを横向きに建てと、ロープのテンションが充分になるだけ引っ張れません。おまけに水はけをよくするためか芝下の土の下にビリ砂利が引いてあるようで、スチールぺぐでもぺグダウンをするのに難儀でした。この結果、翌日の突風で僕たちが玉川温泉に行っている間タープは倒壊してしまい、隣接にご迷惑をおかけしてしまったようです。この場を借りて改めてお詫びと御礼を申しあげます。
 もう少しこのキャンプ場について書いてみたいと思います。下記の写真のように、サイト間のプライバシーはほとんど感じられない作りになっています。この賛否は大いにあると思いますが、最近の流行がスクリーンタープであること、またキャンプの一つの楽しみが始めてお会いする方とのふれあいということも鑑みればこれもひとつの形かもしれません。
 また、場内の豊富な自然は首都圏など自然の少ない地から伺う者にとっては、散歩の楽しみを与えてくれます。タンポポ、ツクシ、水芭蕉、新緑の美しさと既に関東以南では散ってしまった桜のお花見…。ただ、余りに広大なキャンプ場のため、宿泊者がいないと不安になることも…。携帯は圏外、事務所からはだいぶ離れている、というのは大規模キャンプ場の一番のデメリットかもしれません。
 とはいえ、広大な自然たっぷりの素敵なキャンプ場であることは間違いありません。さすがは5つ星。
 さて、このキャンプ場で第4回東北オートキャンプ大会が開催されると記したように、3日の夜ウェルカムパーティーが開かれました。たくさんの食材と、この地域の芸能文化を楽しみながら、テーブルが近い方とチャッチング。
 なんと、JAT会員の方で東京から来られたHさん、大学まで20余年間相模原で過ごされたKさんとそのお仲間、八王子で教鞭をとられていた方と、この地が秋田であることを忘れるようなメンバー。サプライズ!そうそう忘れていけないのは、G社アスリートにお乗りのK氏とも会えました。AK−MLをご存知内とのことで、さっそくご紹介。

宴もたけなわ、やはりお目当てはサイトナンバーによる抽選会。僕らのサイトナンバーはラッキー7!これは!!、との期待通りホーローの食器セットをGet。やったぁ〜!!
 来年は、福島で第5回大会が開かれるとのこと。またお会いできたらいいですね。
 残念ながらメインの4日は朝から大雨。僕らはイヴェントに参加せず、湯治に行きました。さぁ、玉川温泉についてもお話いたしましょう。

温泉の効能は、…って違う番組じゃん(これが分かる人は、僕らの年齢以上の方、しかも男性…(笑))

非医学的な、玉川温泉の効能について記してみます。玉川温泉は、焼山を源流とした温泉でpH=1.2の強酸性です。しかも、珍しい塩酸性のお湯です。また、この周辺には、北投石という微量の放射能を含んだ岩があります。
強酸性のお湯も放射能を含んだ岩も、それ自身が身体によい訳ではなく、それにより痛んだ身体を治癒しようという治癒力、免疫力をあげることにより、身体を強くするというもの。
また、美味しい空気と仲間同志の励ましあい、支え愛による、アクティブな考え方。美味しい料理と癒される環境による基礎体力の増強。このような複合的な要因によって、多くの難病から回復されて帰る人がいる温泉です。
 鹿角市から田沢湖町に向かっての国道341号線の両側はまだまだ雪雪雪。南関東の人間にとっては(その地方の苦労も知らずに)目にとても嬉しい風景。その中を約30分走ると、大きなカーブ沿いに車がズラッと停車しています。休日の朝の見慣れた風景なのかもしれません。これは国立公園を探索しに来られる方のための秋田県の玉川園地駐車場に停めようという車の列です。そこに車を停めてみな、温泉に浸かったり、岩盤浴をしたり、また観光客は観光を楽しみます。が、駐車場のキャパは80台ですので、自然と湯治客は早起きをして時間を有効に利用しようと駐車場が開く前から並びます。僕らもご多分に漏れず、その中の一台となります。
 駐車場には入れるのは、5.3×2.0以下の車のみです。が、KING5.3のように若干の幅が超えているものでも、大丈夫のようです。入り口で県の職員さんから「5時までに退車してください」とビラを渡され、車を停めます。高地を走る国道341号と谷底の玉川温泉のちょうど中間の地点の駐車場から、坂道を降りて行きます。まずは、岩盤浴から。
僕の住んでいる地元の箱根大涌谷などと同じような、軽微な突沸のある泥岩と岩盤。その上は場所によってはホットカーペット並の温度です。そこにござを引き、毛布をかけて寝ることにより、地熱と放射能を充分に取り入れます。そんな訳で長時間するものではなく、30分とか1時間でみな次の人に声をかけ、場所を引き渡し帰ります。
とはいえ、枕もとをみなザクザク歩いている訳ですから、気にする人は寝ることはできないと思います。そう、肝心なことは、ここまできたら些細なことを気にしない、ことなのかもしれません。そういえば、上記岩盤浴テントの傍にある露天風呂は、多くの人が行き来している最中おじさん共がオールヌードになって入浴していました。
そして、空はどこまでも青く…です。大自然を思いっきりもらってきました。
岩盤浴もそれなりに体力を使います。一度戻り、車で休憩をとり再び坂を降ります。今度は浴槽に入ります。
風呂は、100%源泉と50%源泉、蒸気浴などからなります。湯温は低く38度程度ではないでしょうか?長時間浸かれる温度です。まず、掛湯をたっぷりとします。これにより湯あたりを防ぎます。そしてお湯に入りましょう。pH=1.2の言葉に脅かされて、恐る恐るお湯に足をつけますが、別に変わった事はありません。ゆっくりと方まで浸かります。無色透明のとてもいいお湯です。
…と言っていたのは3日目まででした。5分入り、5分涼む、を毎日1時間ほど繰り返していたのですが涼んでいると、まるで乾燥肌になったように体の表面がピリピリ痛痒いのです。また、尻の粘膜(肛門の付近)が、ムズムズとしてきます。恐るべし、玉川温泉、これこそが湯あたりなのです。
手足にできた湯あたり。一週間でこのような発疹が体のあちこちにできてきます。
痛くはないのですが、入る瞬間ピリピリとしみます。
玉川温泉郷には、この5月に3つ目の温泉場ができました。「ぶなの森そよ風」通称ぶな玉です。6日間の湯治でしたので、僕らは各2日づつ入ってみました。温泉は、新玉川温泉が一番刺激的でした。ワイルドさがあります(笑)。一番やわらかいのはぶな玉だったような気がします。
施設は、これは比較をしてはいけないのかもしれません。出来てまだ数日のぶな玉のお風呂がが一番きれいでした。ただ、新しい美しさだけでなく、プラスチックを使っていないところが大きなポイントだったと思います。宿泊施設としては、各宿とも他施設との差別化を計っています。湯治宿としての重みと歴史を感じさせる玉川温泉、地方旅館としての味わいをもっている新玉。そしてアーバンリゾートクアハウスとしての位置付けでしょうか?隅々におしゃれさを醸し出しているぶな玉。ただ、これは逆に新しいぶな玉は、従業員さんもホテルも板についていないカンも感じられました。また、これは宿の評価としては酷なのかもしれませんが、GWということもあり多くの観光客が来ている最中、玉川温泉よりも新玉川温泉の方が観光客が多い分、客のマナーが悪いのが目に付きました。
とくに、源泉100%に入っている人は、少なくとも病の治療中の方も多く、上記の手足のように湯当たりを我慢しながら入っている人も多い中、大きく湯を揺らしながら出入りする人。また、表示を読まずに幼児を源泉100%に入れる親御さん(アトピーなどのお子さんの治療中の方を除く)、老人が多い中、走り回っているお子さんを気にもかけずに入浴している人、湯治場としての温泉は、観光温泉以上のマナーを要求したいものです。
また半年後、若しくは次のGWに行った時、この評価がどのように変わっているかは楽しみです。
さて、4日は雨天のため岩盤浴が出来ませんでした。そのため、午後は田沢湖までドライブをしゃれ込みました。(といっても、雨降りでしたので車から降りたのは御座石神社のみでしたが…)
雨に煙る田沢湖を見てから、駐車場をお借りして遅い昼食タイム。一宿一飯の恩義に、上記店舗でおみやげ物を購入。秋田美人の女将さんでしたよ。
俗世間を離れてゆったり湯治三昧、と行きたいところでしたがTakeは所属教会の役員会書記の任を承っており、9日(日)の定例役員会のAGENDAや諸書類を提出しなければならず、夜間ノートPCで資料を作成しておりました。いざ、MOで、と思ったところなんとUSBケーブルを自宅に忘れたことに気がつきました。キャンプ場で、花輪の町の電気屋さんを紹介してもらい、16時デンコードー鹿角花輪店に向けて出発。CD−RWを購入し、発送用のクッション入りの封筒を捜し求めたところ、親切にも女性の店員さんがエアークッションと小さなダンボール箱を探して持ってきてくれました。わずか数百円の買い物で、ここまでしてくださるとは、と感激をしました。おかげさまで無事に金曜日には小田原に資料データを送ることが出来ました。感謝です。
旅のはなしにつき物はもう一つ。美味しい食事。今回は、あちこちでないので、鹿角のうまいもんをご紹介。稲庭うどんと比内地鶏、これは有名。そして今回発見したのは「ずんだ柿」干柿の間にずんだの餡が入っているもので、これは絶品。
 あっという間の一週間。最終日は日曜日、と言うことで僕らは初めての街、初めての教会で、礼拝をしました。
 早めに出発をしたので、日本キリスト教団花輪教会のすぐそばの「道の駅、鹿角」に寄りました。店内で買い物をして店頭に行き、漬物を売っているおばあちゃんと短い会話。「どこからきたのか?」「あの車はどうなっているのか?」「後ろの魚のシールは何か?」といろいろと社交的なおばあちゃん。名産のいぶりがっこを買っていなかったので購入すると、700円の買い物だったのに200円の商品をおまけといってくださりました。申し訳ない気持ちと共に、商売より人のつながりや人情を大切にする土壌を感じさせられました。4日の電気屋さんの店員さんもそうですが、日本人のもっている優しさに出会えた気がします。
 秋田美人、確かに器量がいい女性が目に付きましたが、それはこうしたやさしさが内面から滲み出したものなのかもしれません。
10時20分礼拝を共にしました。説教は横手付近から3時間かけて無牧の花輪教会に通われている大坂先生。わずか数名の小さな教会には、それでも僕らのように玉川温泉に湯治に来られるクリスチャンの信徒が礼拝も守りにくるそうです。小さな街の小さな教会は、その街において地の塩として大きな働きをされているんですね。
食卓を共にするのを喜びとしてくださる教会信徒の方の作ってくださった焼きそばとデザート。楽しい会話と「また、お越しください」というこれ以上ない笑顔での見送りに、「また来ます」と応え、北の地を後にしました。

前沢SA、菅生SA、那須高原SAと3度の休憩乃至仮眠をとり11日間のキャラバンは終結をしました。走行距離1922.5km、6.9km/Lでした。