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 玉川温泉第3弾−文化伝承を楽しんで−

 幼い頃読んだ「龍の子太郎」のお話。太郎のお母さんは、仲間の帰りを待たずして一人で飲み食いをしたがゆえに龍の姿に化身した。元来いやしい僕は、この化身のシーンがとても怖かった。後日、聖書の中でも悪魔がイエスを荒野で試す時にまず「空腹なら石をパンに変えてみろ」と言う。空腹は人間から理性を奪うのかもしれない。その姿を古代日本人は「龍」とあらわしたのかもしれない。神の子イエスなら退けたこの誘惑を僕は退ける自信はない・・・。
 東北地方に伝わる壮大な伝説。八郎潟の誕生も、仲間の帰りを待たずして沢の水を飲んだ八郎太郎が龍に化身して十和田湖に潜むところから始まる。民族抗争の言い伝えとその時代の人たちの大自然への恐怖がこうした伝承の基になったように、この八郎太郎の物語もそれをうかがい知る話として続く。八郎太郎は、南祖坊(京からきた征服者か?)との戦いに敗れ故郷を後にし、幾つもの大河に住むが、そこも追われ続け、最後に神々が与えたのは日本海の広大な平野だった。一夜の洪水により大きな湖となった八郎潟に八郎太郎は住み、その周囲の人に豊かな農作物を与えた、というのがこの伝承の大まかなあらすじだ。そして田沢湖に行きその地でやはり龍に化身した辰子姫と逢う。夏は八郎潟、冬は田沢湖で生活をしているので、二人(2匹の龍)の愛で田沢湖は冬でも凍らないと言われている。
 僕らは今回の旅でまず男鹿半島を廻り、そして八郎潟に入った。広大な平原を堪能し、そして目的の玉川温泉に行ったわけだが、その八郎潟にこのような悲しい伝承があり、また同じ地で昭和の時代に農民の度を越えた困窮とそして減反政策という深い絶望感を生んだこと、しかし地域の人たちはその苦しみを跳ね返し豊かな農業・観光文化を育んでいることを知った。  右も左もわからない僕らはまず「大潟村干拓博物館」と言う施設に寄った。近代農業を描いた干拓地でのそれは、実は入植者にしてみれば「困窮」「試練」の連続の歴史でもあった。ヘドロとの戦い、そして機会植えが出来ない地でも苛酷な労働。まるでそれは、八郎太郎が住処を奪われて地のそこで悶絶しながらも抵抗をしているかのようだ。
 しかし、農民はそれを克服した。だが、その後農業軽視の国策の被害を一身に受け、その克服した農地すら充分に活用されていない。八郎太郎がいたなら、何のために俺の住処を分捕ったんだ、と怒り嘆くことだろう。その地はいまのどかな観光地となっている。
昭和39年、僕の親くらいの人たちが希望を持って入植されたのだろう。その数14名。
 クリークと出会い、そして離れながらの道路を走ると、1本の直線道にであう。約5kmの直線道の両側に桜が咲いている。5kmの直線道路は、きっと北海道かこの地でしか味わえないものだろう。いずれも困窮の農業開拓の副産物だ。走っても走っても、まだ走っても両側の桜並木は続く。多くの人がお花見をしている、はずだ。しかし余りにも距離があるのでぽつりぽつりとしか感じられない。その先に交差するクリーク上に、みゆき橋がかかっている。この橋を越えると、そこには大潟富士がある。
 オランダを例にするまでも無く干拓は海や湖を陸地にする技術だ。それはその内容から言って水面下になる。八郎潟も多分にもれずそのとおりの場所だ。この大潟富士の場所は、水面下約3.8m。そこに人工の3.776mの山を築いた。それがこの大潟富士である。現在はまだ、国土地理院に「山」として認められていないが、認められた暁には大阪の天保山を抜いて日本一低い山になるのだと言う。しかもその高さは3.776mと富士山の1/1000で、山頂の標高は0。いやはや素晴らしい山(?)を僕らも登山をして楽しんだ。
山頂からベースキャンプを写す 難攻不落の大潟富士登山成功を山頂で祝う隊員たち
 クリークでは釣りを楽しむ人。その横にはソーラーカーのレース場が次なる大会での出番を待っていた。季節柄菜の花祭りも開催されていた。春らしい黄色を堪能した。
 さて話は前後するが、八郎潟に行く前に、僕らは男鹿半島を周遊した。入道崎で夕日を見て、そしてなまはげ伝説を伝承する施設を訪問した。
北緯40度ラインと北極星に向けて石のモニュメントが並ぶ

夕日を見に来たバスのガラスにもきれいな夕日が・・・
 大晦日のシーン再現した伝承館では、白熱の演技と乱暴にふすま障子を開ける音、そしてなまはげの形相に、同席の子どもたちはおびえていた様子だ。なまはげは地域地域により、その面や訪問スタイルに若干の違いがある。このなまはげ伝承館のある真山と呼ばれる地では先立とよばれる先達が「おばんです。なまはげ来たす。」と露払い。家の主人の「おめでとうございます。」の言葉を契機に2人のなまはげが各家庭を訪問する。七度四股を踏み、家に入り各部屋を混まなく見て廻り、五度四股を踏み食事を頂き主人と問答をする。そして3度四股を踏み再度家を見て廻り、次の家に向かう慣わしだ。このなまはげと言う神の化身はその家の邪気を大きな音で追い払い、また衣装の蓑のわら屑は幸せを呼ぶものとして大切にされるものだとか。問答では、家の主に来年の豊作を依頼され了承するなど、その姿は日本のよき農業神であろう。土に生きる農民の郷土愛の表れに思えた。とすれば大きな音で追われる邪気の正体はねずみあたりであろうか。と、ともに農業の後継者である子どもたちの倫理教育者の姿も垣間見れる。なまはげが「悪い子」であった子どもを連れて去ろうとするのを、必死で奪い返そうとする親の姿に、優しい家族を感じる瞬間なのかもしれない。一地方の郷土風習のつもりで訪れたこの伝承館と、隣接のなまはげ館での映画をみて、何かこの地方に脈々と流れる熱い文化を垣間見たような記がした。胸を熱くする思いがした。民話と伝承。それらを通して日本の原風景を見た思いがした。
 観光を堪能した僕らは、白神山地の南を通り、田代町ユップラという入浴施設に立ち寄った。最近はやりのどこにもあるような大型入浴施設だが、価格は驚きの低価格。入浴料は300円。しかもボディーソープは備え付け、リンスインシャンプーは売店で55円で購入できる。ここは「道の駅たかのす」で教えてもらったスポット。
 身体も気持ちもリフレッシュして、次なる道の駅比内に向かう。ここで夕食の予定。目当ては比内地鶏。しかし、すでに売店は閉まって(18時クローズは少し早すぎない?)おり、食堂でていくアウトは出来ないか交渉。既に焼き鳥は売り切れているものの、唐揚げとモツ煮ならということでそれをGET。ビールでしばし至福の時。350ml缶で充分にほろ酔いになれる安上がりさ(笑)。そのまま3時間ほど仮眠。深夜、「道の駅鹿角」に向かう。施設向かって左下の大駐車場でP泊。
 日曜日はいつもの如花輪教会へ。牧師を含めて2、3人の小さな教会。しかしこの日は、ここのご出身で現在三軒茶屋で単立教会の牧師をなさっている小田切先生ご家族を含め10名以上の礼拝出席者。大坂先生より命の大切さについての説教を聞き、共に賛美し、そして礼拝後はひととき交わりの時を過ごした。この教会での礼拝には3度目だが、既に各教会員とは顔見知りになっている。小さな教会だが、真中に主が居てお互いその枝である事を実感する。
 この後時間があるならと、教えてもらった尾去沢に行くことにする。資本力のある三菱の所有する鉱山に全国から集まったことなどから、この秋田の小都市はブラスバンド全国一になったなどの実績を持つらしい。その様子を思いめぐらすのはなかなか難しくなってしまったが、昨年アスピーテラインを通過した際の松尾鉱山の廃アパート群、そして八郎潟の歴史などから、想像を膨らませる。マインランド尾去沢は鉱山歴史の坑道とシューティングアドベンチャーに分かれている。時間の関係もあったので鉱山歴史の坑道のみ見学。
 さて、道の駅鹿角のもう一つの楽しみは、味噌タンポを売っているおばあちゃん。今回も買いに行くと壮年の女性。買い物をしながら「いつものおばあちゃんは?」と問えば「昨年末に足腰が思わしくなくリタイアした」とのこと。・・・そうか、残念。
300円の施設とは思えない立派さ!(たしろ温泉ユップラ) 道の駅鹿角では新緑が萌えています
尾去沢鉱山を走っていたトロッコ電車はもちろん三菱製 道の駅鹿角名物、味噌タンポ。今は若お上が売っています
 国道341号線をうなるように上ると、昨年より多くの残雪があることに気がつく。道路はいまだ真っ白い雪の壁にはさまれている。さぁ、明日から本格的な湯治療養の日々が始まると、気を引き締めて早めの睡眠に陥った。
玉川温泉には基本的に駐車場はなく、秋田県営自然公園施設条例に基づく県営玉川園地駐車場があるだけで、この温泉利用者は県の自然公園の駐車場をお借りすることになる。8時30分の開場なので、1時間前に着こうと7時に出発したものの、既に到着した現地では国道341号線近くまでの長蛇の列。おまけにP泊をしている方の車も敷地内や国道341号線路上にもある。この341号線はしかも、この玉川温泉入り口のあたりでφ70m程度に見るけられる急坂のカーブ。近くにも有料・無料のキャンプ場や道の駅などがあるのでそちらを使ったほうがいいと思ったのは僕だけか?いくら難病やガンを治しても交通事故で亡くなったら実も蓋もないし、必要以上の被害者を生み出すことになるのだから・・・。
岩盤も風呂も芋の子を洗ったような状態。特に今年は、GWが大型だけに遠くからも来られているからか。
 玉川温泉はリニューアルしていた。売店、そしてお風呂場・・・。特に風呂場は、100%源泉の浴槽を大きくしてあった。100%源泉の人気からすれば当然の結果なのだろう。また、お風呂グッズをもって来る人たちのために、お風呂グッズ置き場の棚を作ったのはいいアイデア。
 僕らは、前半3日は玉川、そして後半3日はブナ玉に通い風呂で楽しんだ。このブナ玉は、1年経ってもきれいなホテルのまま。応対の言葉遣いまで洗練されている。しかし、浴槽が狭い事と東北の風情がないことからなのか、観光客には人気がないらしく、予想外にすいていた。 GWのような混雑の時は、ブナ玉のほうがいいのかもしれないと密かに思っている。
 最終日はリッチにブナ玉の食堂で昼食。カツ煮定食1000円はまずまず。食後に珈琲を頼もうと、通りがかったウェイトレスの女性に声をかけると、「こちらでもご用意できますが、あちらのラウンジ彩花のほうが挽きたてで美味しいですよ。」とのこと。あかるい美人の言葉についその気になって、食後はそちらに出向く。深入りの珈琲を堪能できた。
 もちろん、車中の食事もいろいろ思い出がある。会社の友人U君からもらったワインにあわせて、鹿角ならではの食材に舌鼓を打った。桃豚ととんぶりである。 疲れるほどに強い風呂に入り、ゆっくりと昼寝をする。目覚めれば美味しい空気、美味しい食材・・・。健康とは、元来こうしたあたりまえの生活から生まれるのだろう。NK細胞もきっと活性したことだろう。
玉川に行く途中にある「ショップ・トロコ」は、いつ通っても
店が閉まっていた。ところが今回営業中の看板を見たので
思わず飛び込んでしまった。写真は、山菜尽くし定食(\1200)
U君からもらった白ワイン。うまかった
鹿角特産の「桃豚」 トンブリとシーチキンを合えたもの(我が家ではまっている)
 さて、今回の旅の同行者Fさんの息子氏は、僕らとも何度か一緒にキャンプに行っている仲間だ。彼が那須黒磯の豊原にある養牛会社に就職をした。そんなわけで帰りがけに僕らは白河・黒磯に立ち寄った。 昼に玉川を出発したものの、強風でなかなか速度を上げることができず、黒磯のF君宅に着いたのは20時過ぎだった。氏のマンションのそばにある BuonAppetito に行く。「素晴らしい食欲」とでも訳せばいいのだろうか?この店名のごとく注文した「ほろ苦い大人のオムライス」は大食の僕でも満足のいくヴォリュームだった。もちろん味も申し分ない。この日は、同店のご好意で店の駐車場でP泊をさせて頂いた。強風の中の運転疲れかアルコールを飲むこともなく、深い眠りに落ちていった。
 8日(日)、この旅行中2回目の日曜日。主日礼拝は、以前から WebSite を通じて存じ上げている白河教会のTAKE牧師のところに行こうと、早朝から車を走らせる。
 小峰城の駐車場に車を停めたものの礼拝時間までにはまだ間がある。僕らは、城址公園を散策に出向いた。GWのためかボランティアのツーリズムガイド白河の方が説明をしてくださる、と声をかけてくれた。40分強しか時間がないのでどうしようかと迷ったが、30分程度で廻れます、との言葉にお願いをする。武士が城内に入る際に紋付袴に着替えた場所、また御付きの人がその間控えたところが復元されトイレになっているところから説明は始まり、織田信長家臣で有名な丹羽氏が作った石組み、そして完全復元した御前門と説明は続く。しかしそれにしてもこの御前門は素晴らしい。江戸時代を完全に復元しようとした白河市民の熱意の表れなのかもしれない。僕らは、その門を入り清水門の上から街並みを見下ろす。 ガイドの方の熱弁は続く。それはお祭りにかける意気込みにまでつながった。莫大な費用をかけて2年に1度行われる祭りには、盆暮れには帰らない子どもたちも帰ってくるそうだ。
 この東北の入り口の町は、日本で始めての蘭語辞典が作られた場所とも聞いた。天明の飢饉に際しては餓死者を出さなかった地でもあるとも聞いた。そういえば、仕事を通じて知り合ったこの地の方から「南湖公園」を勧められ午後にいく予定にしている。1801年松平定信が溜池として南湖を作ったのだそうだが、その周囲を身分制度を超え四民が共に楽しめる場所として解放したのがこの公園だそうだ。公園というものも日本で始めて発想され、栗林公園や兼六園などもこの公園を模したものだと言われている。ちなみに敬老会と言う催し物を初めてしたのも、松平定信だそうだ。
 さて、白河教会は城址公園から徒歩5分程度の場所にある。礼拝出席者数10余名の教会である。
 この日の礼拝は、マルコによる福音書10:32−45が与えられ、「偉くなりたい者は」と題したメッセージを受けた。牧師がインドに研修に行った際に出会ったヒンズーのグルが内戦を解消させたのは、まず自らの変革であった旨の話をされた。自問をされた話を聞いた。戦争反対といいながら、辺野古の米軍基地反対を言いながら、声だけ大きい自分たちの行動について考える時間を与えられた。
 松平定信はどうであったのだろうか?武士の頂点としてのポジションにいながら、彼は何を思ったのだろうか?その答えが、飢饉での餓死者ゼロであり、四民共楽の思想だったのではないか。自己に固執せず大胆に改革をした結果よい政治が出来たのではないか?遠い旅先の町で知った2つの出来事がシンクロした気がした。
使う道具も当時使っていたものと同じ物で作るこだわりぶり。

 白河ラーメンを食べ、僕らはその南湖公園に向かった。道路を走っているといつも間にか公園の周遊道路になってしまう。ここから公園です、駐車場はこちらです、といった区分けがなく、交通が公園探索でもあるような場所だった。道路から深い緑と四季の移り代わりが楽しめる場所だった。それでも歩いて探索したく、幾つかある駐車場に車を停めた。
 この時期は、松の深い緑の間から見えるつつじの赤だったり、新緑の萌える緑であったりする。それが、こちらの岸や池に浮かぶ島だったり対岸だったりする。しかしなんとも大きい公園だ。帰り時間を気にしながら歩けるものではなく、僕らは本の一部を見てこの地を後にした。後ろ髪をひかれる思いというのはこのことだろう。また、後日資料を見ながらこの地にはアウシュヴィッツ平和博物館なる施設もあると言う。再度白河は訪れたい町だ。
 乳がんは再発期間方のガンより長いと聞く。年2回の玉川温泉の旅はもうしばらく続く。次の旅ではどんな出会いとどんな文化の香りを楽しむことができるかと今から楽しみだ。