YUMECHIYOの軌跡
“めまいがしたので、しばらく目を閉じじっとしている。そして、目を開けると床にいく粒ほどの蜜柑が転がっている。”
そんなト書きで始まる早坂暁氏の「夢千代日記」を読んだのは、母親が好んで見ていたNHKのドラマ人間模様に影響されていることは言うまでもありません。
「サユリスト」という言葉の年齢よりは、若干下ですが、作品と吉永小百合さんのすばらしさの相乗効果、そしてこの日本離れした景色は高校生になった僕のまぶたに焼きついたのでしょう。
その数年後、痛ましい事故が起こり、同様の高架橋梁を走る東海道線湯河原ー小田原間も、少し強い風が吹くとすぐに安全停止をするようになりました。
その名を餘部橋梁といい、2006年からは橋梁の架け替えが開始され、コンクリートになると聞けば、それはもう無理をしても行かなければという気にさせられて、11月4日、仕事終了とともに速攻で出発。一気に夜行約500kmのロングドライブの開始です。
玉川温泉に行く際と違い、会社の休暇を必要としない今回のキャラバンは出発までにそうは無理をすることもなく、体調はいたって万全。牧の原・養老とSAでトイレ休憩。日付の変わったころに吉川JCTから舞鶴若狭道路に入ると、前後も反対車線も車は見えず、それどころか霧がますます濃くなり少し心細さが募ります。
0:30に西紀SAに到着。2〜3台の同様の車が既にP泊していますので、少しはなれたところで僕らもひと時の仮庵とさせてもらいます。
明日は6時おき。早々におやすみなさい・・・Zzzz・・・。
うるさいんです。なんだか・・・、というわけでバンクベッドの窓から外を見るとトラックが・・・。エンジンの音で目が覚めます。

どうやらその後このSAは満車になったようです。何十台のトラックの運転手さんが仮眠中でした。
我が家はここで6:45にあいたパン屋さんで朝食を購入し、一路餘部に向かいます。ここから下道で130kmです。
福知山、出石、豊岡とあせる気持ちを抑えてひたすら走ります。香住の町を通過するころから道の両側に「蟹」の文字が増えてきます。時たま見せる日本海を見ながら最後のスパートです。
山間の餘部YHや地名をかたどったラブホテルの看板をすぎると、大きく視界が広がり、その正面に橋梁が見えました。思わず3人で歓喜の声!
橋梁の真下まで行くと、道路の右側に駐車場が・・・。イクスス号が一杯一杯の大きさのそれでしたが、何とか駐車できました。まずはお疲れ様と、朝食の準備。メニューは西紀で買った饅頭と黒豆のパン、そしてイノシシのシチュー。

    

    

まずは駅に向かいましょう。

    

    

高さ40mの橋梁上にある駅。ということはその高さまで歩かなければならず、2列に並んで歩くのも厳しそうな細い急坂を息を切らせながら登ります。
駅には約10名の方が居られましたが、その半数以上はどうも電車に乗る気はなさそうです。
が、長期の休みではないので、小・中学生が高価なカメラを構えて・・・なんていう光景ではなく、平均年齢の高い落ち着いた撮影風景でした。

−−−−ちなみにメインはリバーサルフィルムで撮影しましたので、現像後スキャニングしてWeb上にUPするまで若干時間がかかります。この注意書きがある間は、すみませんが未完成です−−−−

    

    

同じキャンピングカーにのっているだんじりくんから行く前に地図付のアドバイスをもらったので、今度は海岸線から

    

そして、今度は車中から・・・

    

    

はるか下の、せまい平地に屋根瓦の家々がかたまって建っている。限りなく白波がおしよせてくる海に向かって、可憐とも見える防波堤が突き出し、その中に小さな漁船が見える。−−−小さな漁港である。
同小説で早坂氏にそう言わしめた橋と眼下の街並みです。
求めているものと何かが違う・・・。動物の嗅覚的な感覚でそう思いました。そしてそれは、あまりにも穏やかでたおやかな今日の気候であることに気がつきました。この日はうららかであり、晩秋と呼ぶにはあまりにも暖かい日だったからです。
岸壁のテトラポットにぶつかり白い波しぶきを上げる鈍い色合いの海。そしてその冷たい海風に人は思わず襟を立て、ちぢこむように家路を急ぐ。鉛色の空からはいつしか白いものが横風にあおられて気持ちすら冷え込ませる。

そんな寒村の真ん中にそびえたち、人々の生活の根幹である輸送を支える・・・。餘部の鉄橋は、冷たく硬いはずの鉄塔が、まるで赤子がなにをしても微笑みながら守ってくれるような、やわらかくやさしさを持っているように、町の人たちが思ってくれている・・・、そんなやさしい鉄塔を撮りたいという気持ちが強かったからかも知れません。
コンクリートの強靭な橋梁になると聞きます。風防が高く、天候に左右されない橋梁になるといいます。しかし、視覚的には、優しい目で見守る親のような姿ではなく、強いガードマンのような他人の姿になってしまうのでしょう。少し残念です。

でも、暖かく心地いい撮影日和であったことには本当に感謝です。だった寒がりなんだもん。
僕らは隣駅の鎧駅で電車を降りました。

    

    

    

    

駅からこんなにきれいな海を見下ろせるところを僕は今まで知りませんでした。
何もない漁村の小さな集落に向かって僕らは急坂を下っていきます。うららかな陽気にさそわれてそれぞれの家で洗濯物を干したり、老人は犬の散歩をしたりしています。
なんともため息が出るような穏やかな風景です。

    

駅の上の撮影スポットから、また橋梁の下から、さまざまな電車を入れた写真を撮ることができました。
そして、鉄橋だけではない山陰の小さな町の生活に心が洗われました。
大満足で、餘部をあとに浜坂に向かいます。
松葉ガニ水揚げ日本一、と誇る港町・浜坂は、餘部が自らを観光地として自覚を持たない漁村であることの誇りとは正反対の観光としての街づくりを前面に押し出しているイメージです。
観光協会で、隣接の駐車場の使用を確認し、おいしい水産物を売っている店を聞きます。すぐ近くに、数件の直売所があるということでその一軒の渡辺水産で、今晩の晩御飯の食材を購入。クロカンナという魚とガラエビを鍋にして、白イカのお刺身、そして秋刀魚のおすしをGet。
そしてまずはひとっ風呂と、湯村温泉に車を走らせます。
川沿いにへばりつくような感じの温泉街。日本の温泉の原風景を思います。駐車場に車を止めて、坂道を下り、薬師の湯という共同浴場に入ります。
300円という価格。そして統一性のない数色の洗面器と洗いいす。5m×4mという大きさの浴槽は30cmとその倍の深さの2段。・・・昔ながらの町の郷土浴場です。
程よい湯加減のお湯は、長風呂を楽しむというより、心と体の疲れを癒すにはちょうどいいものでした。
さっぱりとした気分で、再度浜坂の海岸に戻ります。
白イカは甘く、醤油をつけずにツルツルと口に入ります。そして出来上がった鍋をビールを飲みながら至福のひと時を過ごせば、朝の早さもあって急にまぶたが重くなってしまいます。
食後の団欒を楽しんでいる二人を残して、僕は早くもバンクベッドへ。撃沈です。
幾ばくのときが過ぎたのでしょうか、船の霧笛に起こされ何気に外を見ると車の列。ハザードの数から数台でないことを知らせます。
暴走族・・・集会・・・?よくよく見ると、ファミリーカーあり、軽トラックあり・・・。
どうも彼らは、蟹漁の漁火を見に来たようです。この日、浜坂漁港では松葉ガニの解禁日です。0時とともに底引きを開始する模様です。

    

次に目が覚めるきっかけは屋根を叩く雨音でした。天気予報は良いほうへ間違えることもなく、予想通りとなってしまいました。
のんびりと8時過ぎに出発して、再度湯村温泉に向かいます。
川が流れている。湯が流れているのだろう。もうもうと湯気をあげている。川べりの湯で卵を茹でている女たちがいる。
−−−“荒湯”という。
その記載どおりに荒湯を中心とした温泉街です。草津の湯畑、玉川の大噴などと同じその温泉のシンボルでもあります。
そこには98度という高温の吹き出し口に、野菜や卵をかけられるような屋外の共同炊事場です。・・・といっても、現在では家庭の人はまったく居らず観光客がその周辺のお土産物屋さんで購入したサツマイモや卵を茹でているのですが・・・。
僕らも早速、サツマイモを購入。25〜30分で茹で上がります、との言葉に、吊るして早速薬師の湯に向かいます。

    

日曜とはいえ9時という時間。僕のほかには人は居らず、のんびりと・・・。
しかし、のんびり入っているわけにはいきません。芋が・・・。15分で飛び出します。
受付の女性に、昨日もお越しいただけましたよね、と声をかけていただいたことから、若干のおしゃべりをして、また荒湯に戻ります。
芋はマイウぅ〜ですよ、これが。サツマイモはあまり好きではないのですが、これはおいしい!程よい硬さが残っているし、変な甘さはないし、さっぱりと食べられます。
そして卵も・・・。朝食を食べてなかったからかもしれませんが、小雨が降っていなければのんびりと、卵&サツマイモを食べ、風呂に入って観光し、また戻って茹でて・・・。
でも、めがねかけていると大変なようです!


    



    

    


雨も強くなってきたので、早々に観光をやめて帰路につきます。
なんせ、8時間は優にかかりますので・・・。
ハチ北の紅葉はきれいでした。でも強い雨の風、そして時間との戦いでパス。
ETC装着車のイクスス号。和田山では久々に、高速チケットを手にしました。

播但連絡道は、トンネル、トンネル、またトンネル。その合間に道路。そんな山の中をとおり神戸。加西、桂川、一宮、東郷と小刻みに休憩をしながら、23:45自宅到着。走行距離930kmのキャラバンでした。