Surpriseな玉川キャラバン
2004年のGWから春秋と年2回の玉川湯治キャラバンも早いもので6回目を迎えました。
乳がんを除く他のがんの場合の多くは、3年をめどに再発をしていない、との判断を下される場合も多いですが、乳がんの場合は5年と長く、それも例外はあるしまだまだ安心をして無理をしてはいけないことはわかっていますが、それでもここまでこれたことは一つの大きなステップとして感謝いたします。
ともすれば日常の生活に流されながらも、新緑・桜前線の話題、そして秋の紅葉前線の話題が上れば玉川でのんびりとと言う気持ちにさせられます。
今年も八幡平アスピアに予約を入れると、AK−MLの仲間のユリウスさん、そしてDoblog仲間のくるくまさんがオフ会の話題を提供してくれ、例年と一味違うキャラバンになりそうです。
10月4日、近所のGSでガソリン満タン。さぁ、出発です。時速80km/hのスローペース。というのも今回は観光無しの湯治療法とプチオフ会のみ。ですから、明日の午後までにアスピアに入ればいいだけのことです。
そんなわけで、国見SAでP泊。
これが失敗。国見SAの両側には田んぼが広がり、獣害・鳥害があるらしく、深夜にまで大きな空砲の音で追い払っているんです。これには参りました。一度熟睡が終わって眠りが浅くなったときのこの音は、Surprise!な旅の始まりだったのかもしれません。
それでも、志波姫SA、前沢SA、盛岡IC経由、道の駅雫石あねっこと立ち寄りながら12時には玉川温泉に到着。到着早々、新玉川温泉で入浴。到着日に玉川の湯に浸かるのは初めてだったからなのかもしれませんが、初日からピリピリとしみました。先が思いやられるスタートです。
駐車場に戻ると習志野のカプリスが停車していました。紅葉を見ながらの湯治キャラバン車両の第1号です。アスピアに着き、明後日のオフ会用にスクリーンタープ(以下、STと称す)を設営し、今日は終了。
6日、起きると外は雨。岩盤浴が出来ないので、今日はぶな玉の一日券(1000円)を購入して、室内の岩盤浴をしたり、複数回のお風呂を楽しむことにします。

玉川温泉は、海外でも評価がされているのでしょうか?日本語以外の言葉も飛び変わっています。この日も、韓国の方なのでしょうか?団体で来られていました。脳梗塞をした感じのお父さんを連れてこられた20台半ばの男性。風呂の出入りをかいがいしくサポートしていたと思えば、縁台に件のお父さんと腰掛けられ、梨を食べている姿がとてもすがすがしく、ほほえましく、忘れかけていた親子の愛情を思い起こさせました。
2日目のこの日は2度も風呂に入ったのですが、昨日ほどはピリピリ感はなかったです。
ガソリンが少ないので、風呂上りに花輪まで出かけることにしました。ついでに明日くるくまさん夫妻が来られた時用に、桃豚を、あさってのオフ会用にきりたんぽ鍋の材料を購入しました。
夜になると、風雨とも強くなりSTは吹き飛ばれそうな勢いです。昔を思わず思い出してしまいました。

なんせ2つも台風が来ているんだもん。まったく・・・。
夜になるとその猛威はますます激しく、暴風雨はうなり声を上げSTに襲い掛かります。深夜にはSTの補助綱のペグが、何度か抜け、綱の張り直しなど一晩中寝た気になりませんでした。そして翌7日、上記の思い出の2004年12月は翌日は打って変わっての晴天にもかかわらず、この日は土砂降り。今日も岩盤浴はお預けです。今日もぶな玉の一日券でのんびりしようと出向いてみると、雰囲気が何か変。

なんと、あの暴風雨で、送電線が倒れ、ぶな玉と新玉が停電しているとのこと。ヲォ、Surprise!!ぶな玉の職員曰く、「玉川温泉の確認は取れていないのですが、あそこは自家発電が出来るから・・・」とのこと。その言葉に希望を抱き、玉川温泉に・・・。
果たして、玉川はその言葉通り営業をしていました。ところが、紅葉真っ只中の3連休の入りの日。3館分のお客さんが集まった玉川温泉はまるでGW時の様子。そして、そんなおかしな様相に惑わされたか、ミストサウナは40度程度、といつになく長湯が出来る温度帯。きもちいぃ〜!!
風呂から出れば、くるくまさんからメールが入っています。強風と土砂降りの中、東北自動車道をひた走り、午前中に鹿角に到着したとのこと。温泉に入ってからアスピアに来ます、と書かれています。最悪の天気ながらも、無事に着いたようでよかった、よかった。
その夜は、キャンピングカーのこと、温泉のこと、それぞれの車のオーナーズのオフ会の話、酒の話し、連れ合いとの出会いの話、八幡平の見所の話・・・。夜中まで会話を続けてから、明日に備えておやすみなさい。それにしてもくるくまさんご夫妻は酒が強い(笑)
翌日は、主なる日、日曜日。我が家は、例年通り花輪教会に集いました。3連休の中日、そして雨。都会に行った若者も、田舎に戻り、そして農作業が出来ないから、皆で礼拝に集えるか、と思いきや、だれも来ておらず、大坂牧師より「司会をやってくれませんか?」とのお・言・葉。Surprise!!!
クリスチャンでない方も多くこの旅日記を読んでくださっていると思うので、この『司会』について記しますと、礼拝を滞りなく進める奉仕者のことを言うのですが、途中、賛美歌の番号を会衆に伝える、聖書を朗読するなどのほかに、牧会祈祷をするのが慣わしになっております。このお祈りは、個人の胸の内の祈りではなく、『神を賛美し、日々を感謝し、そして隣人をとりなす』、つまりは大きくは世の中について、小さくはその教会がその地に建てられた所以(神様の意思)や信徒のことを祈ります。僕のような、年に2度しか花輪の地を訪れないものが、その地の困窮を知るよしもなく、信徒の顔を思い起こすこともなく、牧会祈祷なんぞ出来ないのですが、「(最近は)最初に集われた方にやっていただいている」と言う大坂牧師の一言で奉仕させていただきました。
実はこの8日は、僕は母教会の小田原教会の司会当番の日でもありました(小田原教会は、役員8名が順番で司会を務めています)。しかし、玉川に行くので司会の勤めが果たせないと、他の役員さんと順番を交代してもらっていたのです。でも、この北国地の小さな群れの礼拝において司会をするようになったのは神様のご命令だったのかもしれません。
花輪教会は、昨年まで中心となって礼拝を守られていたS姉が天に召され、存続が危ぶまれていましたが、その後数名の青年が礼拝に集うようになり、この日も実は僕が司会をすることが決まってから、2名の青年が礼拝に集われました。
日本のクリスチャン人口は1%程度とか言われています。がん患者数が100万人に迫ろうかと言われている今日この頃、1万人はクリスチャンであってもおかしくはありません。そのうち何割かの人が、この玉川温泉の効能を聞き、出向くのなら、最寄の花輪教会の存続の意義は大きいと思います。教会の規模よりも大きな働きをする花輪教会が、このような若者を中心に永久にこの地で発展されるようにと祈ります。
礼拝から車を止めらせて頂いている道の駅かづのあんとらあの大駐車場に戻ると、上からKING5.0-20thアニバーサリーが入ってくるではありませんか。しかもナンバーは地元の相模。お声をかけると、神奈川県E市にお住まいとか。7月から北海道を旅して・・・って7月ぅ!!もう10月ですぜ!!Surprise!!!!なワンコ連れ旅をしている方にお会いできました。
そしてアスピアに戻り、のんびりしていると、くるくまさん、ユリウスさんがぞくぞくとアスピアに来られました。
挨拶も早々、夕食の話題を投げかけるとユリウスさんもきりたんぽ鍋とのことで、ダッジオーブンで一緒にやりましょう!と提案。ぶんぶく32一杯のきりたんぽ鍋を仕込みます。・・・といっても仕込みも味付けも段取りもみんなユリウスさんにお願いしちゃいましたが(笑)
と、外周道をアスリートが入ってくるではありませんか!思わずご一緒に如何ですか?と声をかけてしまいます。岩手にお住まいのOさんは、10日前にアスリートが納車され、今日がその処女航海。
初めて会う方でも、キャンピングカーと言う共通の趣味があれば話は早い。と言うわけですぐに打ち解け、旅の話し、車の話。酒も入りほろ酔いで本当に楽しく至福の一時。
この話の続きは、ぜひ大曲の花火大会におきましてお願いします。
翌朝はやっと天候が回復したので、早速岩盤浴をしに玉川温泉に向かいます。みんなとの交流は楽しいんですが、あくまでも会社には『連れ合いの温泉湯治療養の付き添い』と休暇届を出している手前、まずはお風呂と岩盤浴はできる限り行かないと本末転倒になってしまいます。
玉川温泉は三連休の最終日。そしてやっと晴れた一日のため、駐車場待ちの車が国道341まで溢れています。
なんとか駐車場を確保し、くるくまさん夫妻と岩盤浴へ。いつも行くすり鉢裏の高台も、今年はあんまり温かくなく、それでも何とかHot1ヶ所、Tepidな箇所2ヶ所をGet!1時間後くるくまさんらの様子を見に行くと、くるくまさんはHotな岩盤でふにゃふにゃになっていましたが、ご主人はどうも冷たかったようです。岩盤浴の難しいところは、わずか数十センチで温度ががらりと変わってしまう点です。 
お風呂に入り、一休みした後、くるくまさんからフルーツのてんこ盛り!4人で晴天の空のもと、フルーツを食べ、お別れです。あいにくの天候続きでしたが、どうぞこれに懲りずにまた一緒に遊びましょう!
にぎやかだったアスピアも、テントサイトは、しらかばゾーンの1グループとななかまどの僕らだけ。ゆったりとした時間が流れます。僕は、この前のRFLで親しくなったikkouさんの天気草日録を読みふけっています。半分夢見心地な静かでゆったりとした時間、自分の家庭とikkouさんのご家庭、周囲の人たち、いろんな現実と夢とを交えながらその時間にタイムスリップしながら読ませてもらいました。
それでも21〜22時には完全にバンクベッドの中にもぐりこみ就寝時間です。
10日、この日は午後に紅葉を見に行こう!と相談。午前中に岩盤浴とお風呂に入ろうと出発。連休が終わったのに、車は減ることもなく、駐車場はほぼ満車。
岩盤にも大勢の人がそれぞれの場所で臥せっています。人数が多いせいもありますが、温かいところは、ここ数年、どんどん狭くなっているようです。この日、とうとう温かいところが見つけられずに、僕らは岩盤浴をあきらめ、温泉だけにすることにしました。朝一の温泉はそうなのか?は確認が取れませんが、この日の玉川温泉は、『ぬる湯』の浴槽と「あつ湯」の浴槽の温度がほとんど同じで、それは50%大浴場の温度よりも高いものでした。また、ミストサウナと箱蒸しもかなりの高温でした。
11時20分、玉川温泉を出発し、途中の大場谷地に立ち寄り、連れ合いはいつものように湧水をペットボトルに汲んでいます。その間、少しだけ周遊。
そして大沼へ!ところが大沼の周遊遊歩道、一番きれいな樹林帯のところが工事中!うわぁ〜Surprise。凹みます。
今年は残暑が厳しかったらしく、紅葉が遅くきれいさは今一つでした。僕らの泊まっているキャンプ場も日一日ときれいになっていきます。
そして自然の恵みも・・・。今年はあの嵐の後でななかまどゾーン離れ(高台)だけで50個以上の栗が落っこっていたそうな。
紅葉や爆ぜた栗の実で季節の変わり目を知るのと同じように、生活の知恵ででも変化がわかります。玉川温泉は、冬雪害から湯治客や建物を守るべく、目隠しの補強作業が始まりました。
さて、楽しい仲間の夕餉の団欒もなく、夫婦2人の飯ですが、それでも食材は買いに行かなければならず鹿角まで・・・。いくつかの必要物資を購入して戻ろうとすると前からKINGが・・・。をぉ!!と手を振り見れば、運転手は先ほどまでご一緒だったユリウスさん。うわぁ、Surprise
キャラバンも後半。帰りがけの日程は、連れ合いが大学時代の友人の居場所が分かったから、そこを経由して帰りたいとのこと。
11日、玉川温泉に行った後、病院で医療事務をしていると言う彼女の退社時間にあわせて、秋田まで向かうはずでしたが、同日午前中に彼女からTEL。『家族が体調を崩してフルタイムで働けなくなったので昨日で退職したの。』ヴェッ!ビッグSurpriseです。そんなことこれっぽっちも聞いていないよ、って、彼女は何度もTELしてくれたらしいのですが、何せ電波状況の悪い八幡平の山の中。それを聞いたのなら、のんびりと飯を食べている暇なんぞありません。早速、レッツラゴー!(古っ)
田沢湖・角館を経由し、道の駅協和でしばし休憩。秋田の道は、みなかなり飛ばしているし、速度表示がほとんどないので、流れに乗ってしまう怖さがあり、思った以上早くに到着しました。

そして再度国道13号線を走ります。
連れ合いの大学時代の友人とは、一目あっただけで時空を飛び、昔話に花が咲きます。彼女が帰りやすい(高速に間違えずに乗れる)と選んでくれたお店は、ナガハマコーヒー外旭川店。オレンジのしゃれた喫茶店・・・、イヤイヤ喫茶ビルです。
学生時代の話、家族の話、仕事の話、体調の話・・・、3日前にSTの中がそうであったように、親しいものの会話はとどまることを知りません。この続きは、近々に我が家に遊びに来て、箱根駅伝を応援しながらしようとの約束で、後ろ髪を引かれながらお別れをしました。
遅めの夕食を共にする予定、秋田近郊でのP泊を予定していたのが、大きく崩れました。この時間なら、どこか明日観光が出来る。
そう思いながら秋田北ICのゲートを入ると、突然黒猫が車の前を横切ったんです。ギャー、轢いた?ニャンコ先生は運よく右前輪前から車の下を通り左後輪前をすり抜けていきました。フゥ〜、またまたSurpriseです。
行き先は、山寺にしました。奥の細道の句碑があるところに行って見たいとの思いからなんですが、そんな簡単に行き先を決められるのもキャンピングカーならではではないでしょうか。山形自動車道近くまで車を走らせようと、今日のP泊予定地は菅生SAと決めました。

芭蕉の句は、『写真』ではなく『絵画』のようなものなのかもしれません。その中には、現実に『目』が捉えたものを17文字にしただけでなく、見えない『心』や旅に生きた先人の『思い』などが多分に含まれているような気がします。
『荒海や 佐渡に横たう 天の川』の句も、実際に海岸に立ってみれば佐渡の方角と天の川の方角は違い、同時に見えないそうです。
この山寺においても、『閑かさや岩に染み入る蝉の声』の歌を何蝉か?何匹か?と斎藤茂吉氏と小宮豊隆氏の「蝉論争」があったそうですが、たとえ鳴いていなくとも、見ていない人にこの『山寺』の感動を17文字で伝えるなら、静寂にただ聞こえる音が蝉の声をつかってもいいような気がします。
芭蕉はその朝、尾花沢の方からこの山寺を教わり、7里の道を歩き午後3時頃到着し、その足でこの道を登ったといいます。
紅葉まだ早い山寺に、僕らは9時頃到着しました。まだ、門前町はまだあさぼらけ状態だったのかもしれません。芭蕉記念館を見たのち、その駐車場に車を止めさせていただくことをお断りして、僕らは山寺への階段を上がっていきます。
最初の日枝神社までは108段。煩悩を消すが如く1段1段かみ締めながらお歩きください、との『お約束』を破り(だって歩幅があわないんだもん(笑))、1段おきに登っていったので僕は今でも煩悩だらけです(爆)
山門で入山料を払い山門をくぐると早速岩肌にへばりついた階段が僕らの前に立ちはだかります。
いくつかのジグザグののちにせみ塚がありました。前述の有名な句が掘られていたようですが、今となっては風化して何もわかりません。力こんにゃく売りのオバちゃんの愛想笑を横目に先を急ぎます。
程よく仁王門に到着。曲者が進入しないように寺を守るお仁王さん。夜陰に乗じて入った曲者(くせもの)が一仕事済ませて逃げようとするところを一踏み、するってーと踏まれた拍子に、その曲者一発放屁。『くせ(曲)ー野郎だ』と仁王。『臭う(仁王)か?』と曲者。眼鏡屋盗人の一席が頭の中をぐるぐると・・・。しかし、ここの仁王門は閻魔様を奉納しているようでした。
俗に言う胸突き八丁、でしょうか?汗が噴出します。
いくつかの院を見ながら、しばらく行くと奥の院、そして左に三重小塔。それをもっと左に撒くようにして五大堂。雄大な眺めと心地よい風に汗も引き爽快です。しばし休憩。
ちょうど天三中と記したユニフォームのウェアーを着た子どもたちが校外学習で一緒になりましたが、やはり元気ですよね。この急な階段を行ったりきたり、元気に仲間を呼び合います。あんな楽しい時があったんだよな、と普段は然程気にしないパワーをうらやましく思えます。

かと思えば、郵便屋さんは、紺のブレザー服で大きなかばんを持ち、各院坊を廻るようで、途中で出会い登っていかれました。1日1回、郵便兼保険屋兼銀行員と言ったところでしょう。また、のちに門前町に戻った時には同じ郵便屋さんでも、小包の方は背負子に荷物を乗せて登って行きました。
また、当年83歳の先達さん。腰はすっかり曲がっちゃいましたが、立派な足取りでお客を連れて登っていきます。
門前町はお昼を前にして活気に満ちていました。『美味しいよ』『お疲れ様でした。寄っていって』『山形名物の芋煮ありますよ』観光地はこうでなくちゃあいけません。お客と掛け合い、楽しませて、気分よく座らせて、そして観光地価格で食べさせる。だからその『楽しませる分』だけ割高なんです。
でも、今回は芭蕉記念館の無料駐車場に車を置かせてもらったので、隣接のお茶屋さんで抹茶を飲もうと思っています。雑踏の小路をはずれ、仙山線の橋脚をくぐり戻ります。
芭蕉堂と銘打った御茶屋さんで抹茶とお菓子を頂きます。お茶を習っている連れ合いの評では、お茶もおいしかったし立て方もうまかったとのこと。静かな一時は500円で味わえます。
山形自動車道を通行していると、横を追い抜いていくバンテック社の車積トラック。乗っているのはZIL520。そしてそれを追従する自走式仮ナンバーのZIL520が2台。あわてて追いかけましたが(追いかけてどうする気だ!(笑))、空荷のZILはどんどん飛ばして行き(と言うか、僕のKINGがベタ踏みで80km/hしか出なかったんですが・・・)置いてきぼり。山形で展示会でもあったんでしょうか?
僕らは、その後国見で遅お昼。相変わらず、横の畑ではズドーン!!(苦笑)
と、突然少し東北弁の入った放送が・・・。「福島飯坂−福島西間で事故が発生し、道路閉鎖を致しました」オーマイゴーット!ラストSurprise!!!!!!です。
しょうがない、一般道に下り、二本松まで国道4号線をひた走ります。
いろんなサプライズ続きの今回の玉川キャラバン。でも、無事に帰ってこれました。多くの人と出会いました。ニコニコ顔をたくさん見れました。
いい旅でした。
特に、3連休が雨続きで岩盤浴できなかったので、9日はのんびりまったりしようと言うユリウスさんとの計画を撤回し、早朝から玉川温泉に移動しちゃいました。帰ったらSTのなかに真っ赤なりんごがおいてありました。ユリウスさん、ありがとう!こんな嬉しくて心温まるSurpriseがあればならではまたキャラバンに行こうと言う気持ちが湧くと言うものです。